1985年8月12日、
今から24年前の夏。
地方大会で敗れ、
高校球児として早々に夏が終わっていた自分にとっては
なんだか気の抜けた夏だったことを鮮明に覚えている。
田舎のお盆独特の雰囲気を待つ、
いつもよりも暑い夏だった印象が強く残っている。
先日、映画(DVD)「クライマーズ・ハイ」を観た。
日本航空123便の墜落事故を題材に群馬県にある地方新聞記者の
様々な葛藤、闘いを描いた横山秀夫著の同名小説の映画化である。
原作を読んでいないのでコメントは避けたいが、ネット上の映画レビューは
あまり評価が高いとはいえない。
私はそれなりに楽しめたが。
さて、24年前の今日、
羽田発のボーイング747がコントロール不能に陥った後、
消息を絶った。
航空機事故としては史上最悪の大惨事となってしまう。
自身はこの事故に関しては、微塵の関係も有していない。
けれども、当時の新聞やテレビからのニュースから受けた衝撃や恐怖は
今でも忘れることはできない。
後になって、ボイスレコーダーの音声が公開されることとなったが
あの生々しい、機長、副操縦士、航空機関士の必死のやり取りを
聞いた後、言葉を失った。
事の真相・核心は分からない。
自分にはとやかく言う権利も無い。
ただ、そこに居合わせてしまった方々への哀悼の念が
自然とこみ上げてきてしまう。
このジャンボ機に異変が起きたのは離陸後間もない頃。
操作系の要となる油圧系統が全部いかれてしまう
航空機としては致命傷を負ってしまったらしい。
ジャンボ機には、油圧システムが4つ、駆動ポンプは10台。
各機能に対しては、複数の油圧ポンプから油が供給されており
仮にひとつのポンプが動作しなくなったとしても、他のポンプから供給を可能としている。
不慮の事故を防ぐためであろう。
ところが、全てが機能しなくなってしまった。
操縦桿、フラップ、方向舵、脚装置、ブレーキなどと
重要な機能が油圧装置に頼られているのである。
手の施しようがない。
頻繁に航空機を利用するようになった今、
空の安全は願ってやまない。
今後、教訓といわれるようなことはあってはならないと思う。
そして飛行機が、多くの人々の夢を乗せ
大空を飛んでいく乗り物であり続けて欲しいと思う。
[0回]
PR